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『変な絵』小説がもたらす人間理解

読んで時間が経っているせいか、不思議と細かな内容を思い出せない。『変な絵』。ただ、心に温かいものが残っている。懐かしい人を思い出す時のような感覚。そんな本だ。

作者の雨穴さんはホラー作家と紹介されている。『変な絵』もホラーとして読んで充分怖い。ただ、『変な絵』で感じたのは、多くのホラー映画のような、日常に「ありえない」恐怖ではなく、人間という存在そのものの不可思議が醸し出すこわさだ。人間って、実はこわい。理性で括れないような要素を、誰もが持ち合わせている。その「こわさ」がうまくにじみ出ている。

登場人物は、法を犯してしまう。そこで小説はホラーからサスペンスのような現実的な味わいを帯びる。

罪の内容は、常に多くの日本人が強く糾弾するものだ。もし、この小説の事件が実際にあって、「事件」としてニュースに取り上げられたら、わたしは「これは、死刑になってもしかたがないな」と思っただろう。

しかし、「小説」として読んだ時、わたしは登場人物を厳しく責める気持ちにならなかった。そして、裁判になったとしても主人公は死刑にはならないだろう、情状酌量があるだろうと思った。わたし自身も、物語の中の度重なる罪に対して、情状酌量の気持ち、登場人物を赦し応援する気持ちが芽生えていた。

心理学を学んだ時、わたしは犯罪心理に強い関心を持った。人間の持つ悪について、何年も探求した。しかし、メディアが流す死刑報道に触れても、「これは、死刑になってもしかたがないな」で済んでいた。死刑を受容していた。

ところが一冊の小説、『変な絵』を読んだ後、わたしの考えは変わった。「事件」として切り取られてしまえば、死刑やむなしと思える事柄も、「人間」の生きたありさまの一部として捉えれば、もっと違う感情が湧き出る。事件を見ず、人を見れば、短絡的で条件反射的な断罪ではなく、赦しや慈しみの情が湧く。わたしは『変な絵』のおかげで、「事件」報道の裏に隠れた「人間」の存在に注意を払えるようになった。

今現在、日本人は死刑を受容している。死刑が制度として残っている。マスコミ報道もサスペンス映画などのメディア作品も、そして国民一人一人も、被害者の「無念の思い」という美辞に潜んだ復讐心を応援し、罪人に当然の報いとして死を要求して憚らない。

わたしは『変な絵』を読んで、はっきりと死刑廃止支持者になった。『変な絵』は死刑制度云々については全く触れず、裁判が出てくるわけでもない。ただ、罪を犯した登場人物に対して裁かない態度を取る作者の人間理解に、わたしは感化された。作者の人間理解は、知的な分析や判断ではなく、温かい心の発露から来るように思えた。

作者は罪を犯した登場人物を贔屓に描いていない。描写は常に登場人物と距離を持って淡々とした筆致で写実的に描かれている。その冷めた視線は、ホラーとしてもサスペンスとしても充分な趣をもたらしている。

作者が饒舌に罪を犯した登場人物を擁護も糾弾もしないゆえに、読者は冷めた目で登場人物を捉えることができる。そして、読者の中にある良心が、素直な気持ちで登場人物を理解できるようになっている。

ゾッとしたり、ヒヤヒヤしながら読んだ『変な絵』。読んだ後に、なぜか温かい気持ちになる。心理学の書は人間を分析するのを助けるが、小説は人間を理解するのを助ける。知的な働きかけではなく心に働きかける小説は、人を変える力がある。わたしは『変な本』で、思いがけずも自分の中の、寛容な心に気づくことができた。日々の生活で実践したい。人を赦すということ。

人間って、「こわい」、でもそれ以上に、「いとしい」。

 

平史樹

 

 

 

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