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転校転職慌てないで

不登校の児童生徒が増え続けているかと言って、現在ある学校が役立たずな訳ではない。むしろ今後も必要だし、学校も時代に合わせて進化している。

登校して「問題のない」子だろうと、登校できなくて「問題のある」子だろうと、そして「登校はしているがつらい」不登校予備軍だろうと、子どもには学校や家庭以外に話をしたり相談もでき、学べる場や人とのつながりが必要だ。それは大人にも言える。日常を少し離れたところにある、第三の居場所と、そこでの人とのつながりは現代人の命綱だ。

最近、子ども食堂をはじめ子どもの居場所が増えて来た。大事だと思うのは、そこに子どもや若者を見守り励まし声をかける大人がいるということ。

「不登校だからフリースクールに通わせよう」という発想には注意が必要だ。当の子どもと充分話し合い、子どもの納得を得ないまま今の学校をやめさせて他校やフリースクールに転校させたとしても、そこがその子にとって新たな「ガッコウ」となり、しばらくするとまたそこにも通えなくなることがある。大人の転職だって似たところがある。

家の中の誰かが学校に行かなかったり仕事に行っていなければ、家族は心配して当然だ。しかし学校や職場に通うという日常が崩れていても、その理由を理解しようとせず、平穏な日常を求めるあまり「はやく学校へ行け」「はやく仕事をさがせ」と急かしても、問題は大概好転しない。

学校に行かないこと。仕事に行かないこと。それらを問題としない。それらを非日常としない。それらを異常としない。

当の子どもや大人にとっては、それが解決であり、それが日常であり、それが正常であることも多い。

変化の激しい今、昨日の非日常が今日の日常になる事態が増えている。

学校に行かないのも、職場に行かないのも、必ず何か理由がある。心の問題、体の問題、人間関係の葛藤、生き方や価値観の問題、それらをより一層自分に合った形にして行こうとする時、人生のリセットが必要な時、人は一旦日常を停止する。それは解決のプロセスであり、進化や脱皮、成長の表れなのだ。

その時、助けになるのは、ネットの情報以上に読書体験であり、転校や転職の前に安心できる居場所で人と関わることだ。

転校転職を慌てないこと。本人も家族も。それらを非日常として排除しないこと。むしろ日常の出来事として受け止め前向きに取り組むこと。学校や職場以上に、世の中全てが変化している。非日常が日常となった時代に私たちは生きている。

 

平史樹

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