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カウンセリング

「何で言わないの?」と聞かれても困る。言えないんです。場面緘黙。

「あれ?火が消えてる。カセットコンロのガスなくなったんじゃない?それじゃ生煮えだよ。店員さん呼ぶよー」

「・・・」

「あわてて公園のトイレに駆け込んだけど、あたしん家でガマンしてた?もしかして人の家のトイレ、ダメな人?」

「・・・」

「えーまじ??お盆にシフト入れたってどゆことー??あたし休暇取っちゃったじゃーん。一緒に過ごしたかったのにー!早く言ってよー!」

「・・・」

時々だまりこむタロさん。

そんな時、自分は無視されてるんじゃないかと感じてしまうハナさん。

タロさんは明るくておしゃべり。細やかな気配りもできる職場のペースメーカー。

ハナさんは内気で大人しいしっかりもの。

同じ職場に派遣されて知り合った二人。お付き合いを始めてしばらくたってからハナさんが気づいたのは、タロさんがときどき「だまりこんでしまう」ということ。

デートして、丸一日「だんまり」がないこともある。むしろそういうことの方が多い。

でも、ふとしたことで「だんまり」をされると、その後、いつまでもモヤモヤしてしまう。無視されたかのような不快感。

ハナさんは、タロさんとの結婚を真剣に考えるようになってから、一層タロさんの「だんまり」が気になるようになり相談に。

・・・「それ、ひとつの可能性としては、緘黙(かんもく)を思い浮かべますねえ。」※診断は医師にしかできません。

「かんもく?何ですかそれ?」

「場面緘黙症というのがあるんですよ。普段、普通におしゃべりはできるんですけどね、何らかの理由で時々話せなくなるんですね。」

「え~、わたしも時々返事がスローというか、考え考え話すからか、会話の反応がゆっくりになることあるんですけど、そんな感じ?」

「ハナさんは、ゆっくりでもお返事できるんですよね?」

「そう。返事はできます。」

「場面緘黙症の場合はね、返事そのものができないし、本人もその時は頭が真っ白になって考えることさえできなかったりするんです。言葉以前に、声が出なくなるという感じですかねえ。」

「は~!口べたとは違う?」

「違いますね。パソコンが一瞬フリーズしちゃう感じかな。・・・タロさんと直接会って、詳しくお話を伺わないとはっきりとしたことは言えませんけどね。」

「彼、おしゃべりなんですけど・・・。」

「そう、普段おしゃべりでも緘黙ってあるんですよ。よく、自宅ではすごくおしゃべりな子が、学校に行くとほとんど話せないなんてことがあります。特定の場面でなるんで、場面緘黙と言うんです。」

「でも、かなりのおしゃべりですよ彼。私にもいっぱい話すし、仕事でももちろん、社員ともお客さんとも積極的に話せてますよ。」

「そこが逆にタロさんのつらいところかも。自宅ではおしゃべりな子が、学校に行ってまるで話せなかったりすると、どうなりますかねえ?」

「ストレスたまりそう。」

「そうですよね。場面緘黙のある人は、ストレスためてると思います。・・・学校や職場で明らかにコミュニケーションに支障が出る場合は、本人も周囲も問題意識を持ちやすいから対処もしやすいんですが、たまにだと周りも気づきにくいし、本人も問題に感じていないこともあると思います。」

「本人が無自覚なこともあるんですか?」

「緘黙になっちゃうことはわかっているけど、慣れてしまうんですね。また、それで自分に不利益があると気づかないことはあります。」

「自分に不利益?」

「そう、緘黙で自分の気持ちを伝えられなくなってると、本人は感情をため込むことになるし、周りの人は本人の本音が分からず誤解を生むことも多いと思います。」

「あ~、まさにそれ。私、彼が私のこと無視してると感じちゃってました。」

「本人には無視するつもりはないし、無視してると誤解されていることにも気づかないでいるかも。」

「たぶんそうだと思います。治す方法って、あるんですか?」

「彼自身に問題意識とか病識があれば、クリニックなどで診察を受けるきっかけになりますね。場面緘黙も含め、何らかの診断が出るかも知れません。もし場面緘黙ならば、治療の方法というのもあります。本人の不安が緘黙を生じさせていることもあって、お薬を処方されることもありますが、カウンセリングなどの心理療法がメインになると思います。」

「ふむふむ。」

「ただ、本人が無自覚な場合は注意しないと。病気だと決めつけられたと思うと、不信感を生むだけで、かえって人間関係を悪化させることもあると思います。」

「彼は全く無自覚だと思います。何か良い方法はありますか?」

「周囲の人が配慮して接することはとても良いことだと思いますよ。だまりこむことを癖だとしてスルーせずに、何か言いたいことがあるけど言えないのかも知れないな~という気持ちで見るんです。」

「それだけ?」

「初めはそれだけ。少なくともハナさんの、無視されてるんじゃないかという意識は薄くなると思いますがどうですか?」

「たしかに。ちょっと心に余裕を持って受け取れそうです、だんまりを。」

「そうですよね。それでね、機会を見て、ハナさんから、タロさんのだんまりに遭遇する時の気持ちを伝えてみると良いですよ。」

「私の気持ちを伝えるんですか?」

「そうです。」

「どうなるんですか?」

「タロさんにハナさんの気持ちが伝わります。」

「アハハ!そりゃそうだけど・・・え~、良いのかなあ。黙っていられるとしんどいって、正直言いづらいです。」

「うん、そうですよね。特に日本では、自分の苦痛を人に伝えたがらない文化があると思います。だから抵抗を感じて当然ですが、タロさんの場合、ハナさんが自分の気持ちを正直に伝えない限り、ハナさんのことを今以上には理解できないんじゃないかなあ。」

「確かにそう。・・・ちゃんとわかってほしい。」

「もし、黙っていられるとしんどいよって、タロさんに伝えたら、どうなりますかねえ?」

「あっ、そうか~。って、なると思う。」

「それって、大事なことだと思いますよ。タロさんは不愉快で怒るかも知れない、あるいは自分を責めてしまうかも知れない、あるいは全く無反応かも知れない。でも、初めの反応が過ぎるとどうなるでしょう?ハナさんの気持ちが残りますよ。正直な気持ちを伝えるって、インパクト大きいです。」

「タロさん怒るかな~、たぶん怒るな~って思いました。でも伝えたらスッキリしそう。」

「タロさんは、怒ったまんまですかね?いつまでも怒ってますかね?」

「それはない。基本優しいです。」

「もし怒ったら、良いじゃないですか。いっとき、気の済むように怒らせてあげれば。」

「あ~、私、怒らせるのを避けてた。すごい避けてます。」

「イタリア人なんかね、仕事でも、交渉中にガンガンに怒り狂ったりしますよ。ヒヤヒヤして見てるとね、パッと腕時計見て、さあコーヒータイムだ、ひと休みしようって、ケロッとして笑いながら一緒にエスプレッソ飲みに行くわけ。怒ってるのは演技じゃない。本気なんだけど、怒ることを避けない。率直な関係を大事にする文化もあるんです。」

「私は小さい頃から、人を怒らせないように気を遣って来たと思います。」

「それでも良いんですよ。何か理由のあることだから、・・・でも、今回の場合、タロさんに、緘黙してる時のハナさんの気持ちを伝えることは、お互いにとって良いことなんじゃないかなって思いますよ。」

「う~ん・・・。」

「ハナさんは、ためていたタロさんへの気持ちを伝えることができるし、タロさんにとっては、ハナさんの気持ちを知ることと、気持ちって伝えて良いんだってことを教えることにもなりますよ。・・・ハナさんの、自分は無視されているんじゃないかっていう気持ち、不安な気持ち、それを伝えて、今度はタロさんが、そんなことないって怒るとしますよね、」

「怒りそ~。」

「でも、タロさんにハナさんを無視する気持ちがなかったら?」

「怒りながら、そんなことない、無視してないよって言うと思います。」

「そしたら?」

「ごめんね。でも、よかったって言います。」

「不安だったからって、伝えてもいいかも。これ大事。」

「不安だった・・・」

「・・・どんな気分ですか?」

「良いです。ホッとする。」

「良かった。タロさんに言えたら、もっとホッとできるんじゃないかな?」

「うん。・・・そう思います。」

「ハナさんが自分の気持ちを伝えるようにしたら、次のステップとして、タロさんの気持ちを意識して尋ねるようにしてみてはと思います。ただし、せかすのはダメ。無理矢理話させようとして問い詰めても、余計に口を閉ざしてしまうことがあります。気持ちを聞かせてくれるとうれしいと、優しく伝えて行く。すぐに返事が出来なくても後でも良いよ、そんな感じ。話すことを求めるのではなく、あなたの気持ちが知りたいということを伝えて行くんです。」

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場面緘黙。学校や仕事、あるいは家庭で、本人にも周囲にも支障を来すほどの症状がある場合は、比較的に発見し易く、支援もし易いと思います。

医療機関での治療だけではありません。精神障害者保健福祉手帳の認定が下りれば、各種の福祉や公共サービスの利用、障害者雇用枠での就労も可能になります。

わたしは、そこまでは至らないが、本人も気づかないまま、小さな場面緘黙のために生きづらさを密かに抱えて生活をしているかたが、かなりいるのではないかと思っています。

それは大概、コミュニケーション上のトラブルやつまずき、失敗などの影に隠れています。

場面緘黙は、自覚が出来て、変えようとする意欲があれば、時間はかかりますが克服できます。

わたしは、場面緘黙のかたに出会うと、描画療法など、言葉によらない心理療法にじっくり時間をかけます。認知行動療法などを取り入れるとしたも、それらの後です。

意義を伝え同意を得た上で、絵を描く。箱庭を作って遊ぶ。上下関係や利害関係の枠にとらわれないくつろいだ会話を楽しむ。そんな時間が、カウンセリングを受けるかたの心をほぐし、人との信頼関係を育て、どうやったら緘黙を持ちながらも自分らしく人と関わって行けるのか、コミュニケーションの方法を組み立て直して行くのに有効だと思います。

心理カウンセラー 平史樹

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