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学校は必要
学校は必要
学校は必要だ。「フリースクール」の主催と言うと、勘違いされやすい。「学校否定論者」ではないかと、それは間違い。
学校を否定する親や子が、フリースクールに理想を求めすぎても、そこは新たな「学校」に過ぎない。学校に幻滅し、フリースクールを転々とし、疲れ果てた親の相談を受けたことがある。その親子に必要なのは、一時的な個別の相談やサポートであって、理想の学校探しではないと感じた。
学校を辞め、フリースクールに通うことが生きる場合ももちろんある。ただ、通学スタイルのフリースクールだって、学校と同じように一長一短ある。
もしも子どもが、学校に行かなくなった時には、単純に学校を否定し、フリースクールを探す前に考えて欲しい。なぜ学校に行かないのか、「学校に行かない」目的は何か、保護者は子どもと一緒にこのことに向き合い、掘り下げて欲しい。
逃げ場所探しであるならば、フリースクールからも、いずれ逃げたくなるだろう。
なぜ「学校に行かない」のか?行かなくなった原因探しや犯人探しではなく、なぜ「行かないのか」目的論的に掘り下げると、積極的で教育的な解を探す手助けになる。
「学校?行かなくていいよ」のひと言は、これまでたくさんの子どもも保護者も救って来た。「学校へは行かなくてはならないもの」という呪縛から解放して来た。しかし、それは初めの一歩。それからどうして行くか、子どもにとっても保護者にとっても、そこからが大事だと思う。
今は昔よりも、迷ったり立ち止まったり、紆余曲折したり遠回りすることができる時代になった。例えば高校を中退して大検を経て大学に行くとか、二十代で転職を繰り返し起業するなど、奇異な目で見られることはほとんどなくなった。
そんな時代に必要なのは、一人ひとりの個別性に目を向ける発想。「みんながそうするから」ではなく、「私はどうしたいか」を追求することだ。
「私はどうしたいか」を意識し、追求する構えができると、人は多少のミスマッチがあっても、主体性を持ってその環境を生かして行けるようになる。
昨今の不登校の児童生徒の増加は、一見学校の問題であるように評価されがちだが、学校そのものは改善点を多く抱えながらも機能している。
むしろ不登校の子どもの増加は、主体性を持って生きることを求める子どもが増えていることの表れなのではないかと思う。
若くして会社を辞める若者の増加もそうだ。
彼らと話して感じるのは、自分の人生を自分でなんとかしたい、自分の人生を自分が納得の行くようにしたいという熱意と葛藤だ。
これまでの社会のレールに身を委ねても幸せは来ない。自分のレールは拙いながらも自分で敷きたい。そんな情熱を感じる。
そんな子どもたちにとって、学校は大事な葛藤の場となっている。そんな若者たちにとって、会社も、大事な葛藤の場となっている。
平史樹