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カウンセリング

あなたは愛されるべきだし、生きるべき。

「愛って何だろうなあ?」って考えていたころがありました。

文学を読みあさったり、心理学の勉強をしたけれど、愛そのものが分かるわけでは、やっぱりありませんね。

愛の理解には概念ではなく、体験が必要かなあ。

「愛する」ことって、言葉でとことんシンプルに表現するならば、「相手を満足させる」ことかと思います。

「幸せにする」ことに似ている。

「幸せにする」ことをかみくだいて言い換えると、「満足し、納得し、感激し、感動し、喜んでもらう」ことですかねえ。

ただ、「愛する」は「幸せにする」よりももっと根源的な働きを持っているように思います。

幸せを実感するために先ず必要な要素は、なるべくしっかりとした愛着(アタッチメント)、情緒的な深い結びつきを人との間で作って行くことかと思います。

人が幸せを感じ取れるようになるには、誰かから愛情をもって接してもらう機会が必要です。それが愛着形成をもたらす。

愛着形成が、愛することと愛されることを準備すると思います。

愛し愛されることが、人が幸せを実感して生きるためには、どうしても必要なことなのではないでしょうか。

恋愛だけの問題ではないのです。人が誠実さや真心をもって人と接し、生きていくために必要だと思います。

誰もが愛されるべきだし、幸せに生きるべき価値ある存在です。

そのことに気づき、実感して生活して行くために、愛着形成の大切さを訴えたいです。

今回は、愛着形成について、カウンセリングの現場から考えたことを少しお伝えします。

・・・さて、わたしがカウンセリングを利用されるかたに必ず問うことは、「何に困っていて、どうしたいですか?」ということです。

ただ、カウンセラーが助けながら一緒に問題を明確にして行き、解決へと向かおうとしても、カウンセリングを受けるかたが、足踏みしたり、反発したり、中断したりすることはよくあることです。少なからず抵抗は必ずあるものです。

家庭や職場の問題を持って来たかたが、カウンセリングに入ると今度はカウンセラーの態度ややり方を問題にし出し、ややこしくなることもあります。おそらく、家庭や職場でやっていたことを繰り返しています。

そんな時、「このかたは、いったい何がしたいんだろう?何を求めているんだろう?」と考えます。

また、カウンセリングで問題がなくなって、よかった~!となると思ったら・・・「カウンセリングなんて結局、何の役にも立たないよ・・・」というような顔をして去って行くかたもいます。ガーン・・・

「このかたは、ほんと~は、どうして欲しかったんだろう??」と思うパターンです。問題は解決したはずなのに・・・。

どうも問題の奥に、問題解決よりも大切なことがありそう。

それはどうやら、その人の愛着(アタッチメント・情緒的な深い結びつき)の形成と関係していそうです。

基本的な愛着形成は、赤ちゃんのころなされるとされています。だいたい相手は母親ですが、父親やそれ以外、血のつながりがなくても良い。

乳幼児の頃、特定の年長者と安定した愛着形成がなされると、その後の人間関係も比較的安定して作って行けそうです。

つながりの土台ができる。

すなわち、人とつながりやすい。生きて行きやすい。

愛することって特別なことじゃなくて、子どもでも大人でも、自然に愛し愛される能力があるってことに気づきやすくなる。

愛着形成が不充分だと、人とつながるのが難しい。生きづらい。

愛することも愛されることも、難しいということになりそう。

カウンセリングを必要とするかたは時としてその奥に、愛着形成を求めているかも知れない。

不安定なままの、つながりの土台を、補強したいのかも知れない。

今のところわたしは、タイムマシンを持っていないので、カウンセリングを受けるかたの赤ちゃん時代には行けませんが、それは物理学上の話。

心理学的には、心の世界では、過去や未来を自由に往来できます。イメージや想像の世界が心の世界だからです。

物理的には大きくなったカウンセリングの利用者さんを前に、わたしの心はタイムスリップして、赤ん坊の時の利用者さんにも会います。

赤ん坊の利用者さんをあやしたりだっこしたりすることをイメージしつつ、赤ちゃんをお世話する時の気持ちを作ります。寛容さがぐんと増します。

大人が急にコップのジュースをわざとこぼしたら、「いきなりなにやっとんじゃこのボケ!」とか言いますよね?あら言わない?

でも、もし相手が赤ちゃんだったら?「あら、どうしたの~?リンゴジュースより、おっぱいほしかったかな?」なんて思います。

大人が急に立ち上がったかと思うやいなや目の前で服を着たままジャーっておしっこしたら、「あほんだらっ!するならちゃーんとズボン下ろしてからしいや。ってちゃうやろ、便所知らんのかい、こりゃっ!」って、つい言ってしまいますよね。言わないか。

でも、もし相手が赤ちゃんだったら?「ごめんね。おむつ一杯だったんだね。替えようね。うんちは大丈夫かな?」なんて思います。

体は大人になっていても、心は不完全な愛着形成のままの赤ちゃんかも知れない。何しろわたしがそうでした。安定した自分を作るのに苦労しました。

そうイメージしながら、赤ちゃんをお世話する気持ちをもってカウンセリングをしていて気づくのは、こうしてみると、利用者さんへの理解が深まるということです。

どうしてこのことにこだわり続けるのか?どうしてそのことで前に進めないのか?どうしてそれで全部台無しにしてしまうのか?理屈で分からなかったことが、少しずつ分かるようになる。

カウンセラーにとっての愛は、カウンセリングを受けるかたを理解すること。

カウンセラーがひとつ利用者さんを理解する度に、問題解決とは別の次元で、利用者さんが成長しているように感じます。わたしの思い込みだけじゃなしに、利用者さんがこれまで出来なかったことが出来るようになったりします。

カウンセラーの理解という支えが、利用者さんの愛着形成を補い、生きづらさを克服し、愛し愛されるようになり、幸せの実感を高め、生きる喜びへとつながって行きますように。

もしもあなたが、日常生活で誰かの愛着形成を助けたいなら、男女の区別なく誰もが持っている母性の愛を、自分の中から湧き出させることです。

相手が子どもでも大人でも、その人の中の、まだ未熟で、愛を母乳のように求めている赤ちゃんの部分に、赤ちゃんをだっこする母親になって優しく接します。

相手が成熟した人間だと思うと、母性は減り、知性が出てきてしまう。そうすると分別で、相手を裁いてしまう。

これまで知性だけで物事が解決したことはあるでしょうか?

本当の理解や気づきは、母性の愛を湧かせている時に得られるように思います。

心理カウンセラー 平史樹

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