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自殺はしないで
今や若い人の死因ナンバー1は、自殺と言われています。統計で明らかになりました。
日本の自殺者数全体は減っているとはいえ、自殺未遂は依然多く、自殺を考える人はさらに驚くほど多いという統計もあります。
特別な人が自殺を考えるのではなく、誰でもふとしたことで死を思う時代に、わたしたちは生きていると思います。
それでもなお、わたしは、「自殺はしないで!」と伝えたい。
もし、今自殺を考えている人がいたら、深呼吸をして、誰かと話してみてください。
自殺の意志を話せなくても、つらい気持ちを教えてください。
説明はいりません。「ただちょっと、つらくって・・・」そのひと言だけでも心の扉が少し開いて、苦しみの館から外に一歩、出られることもあります。
つらい気持ちを話せなかったら、どんなことでもいい、自分のことを話してください。
あなたを少しでも知っている人に話してみてください。できれば、あなたを大切に思ってくれる人に。もし、親しい人がいなければ、少しでも信頼できる人に。
身近な人には自殺について、とても話題にできそうにないと思ったら、専門家を探しましょう。無料の相談ボランティア、自治体の窓口、医療や福祉、教育機関、関係する事柄によっては弁護士や警察に相談することが良いこともあります。
どんな話題でも、あわてたり、怒ったり、怖がったり、説教や説得に急ぐことなく、冷静に、そして温かい気持ちで話を聞いてくれる専門家に、思い切って打ち明けてみてください。
わたしで良かったら、お気持ちを聞かせてください。
あなたの死にたい「気持ち」は否定しません。その気持ちを少しでも詳しく聞かせてほしいし、よかったら、どうしてそんなことを考えるようになったのか、話せるところから聞かせてほしいです。
ただ、あなたの気持ちや事情とは別に、自殺という選択には、わたしは反対なんです。
それは、なぜか・・・
今回は、わたしの死生観について、少し書きたいと思います。現在自分が納得して生きるためのわたしなりの仮説ですので、参考程度のつもりで、良かったら読んでみて下さい・・・。
死は、カウンセラーのわたしにとっては、とても身近な話題です。
自殺を考える十代から、人生に行き詰まった四十代、自分の死後残されるであろう子どもの行く末を心配する八十代まで、様々な年齢層や境遇のかたのご相談を受けます。
日々、死について考え、カウンセリングを受けるかた一人一人はもちろん、家族やわたし自身についても、「生きて、もっとしあわせになるには、どうしたら良いのかなあ~」と、思いをめぐらせています。
これがわたしの日常です。
小さい頃、生きることが毎日つらかったので、つらい気持ちをどうにかしたいと心から願う習慣が、今のわたしの基盤になっていると思います。
不器用に生きているわたしですが、カウンセラーとしてのわたしの基本姿勢は、あなたがより良く生きるための支援者である、ということです。
より良く生きるための支援をするためには、死についての自分なりの考え方や立場も、明確にしておかねばならないと思っています。
今現在のわたしの考えは、死は終わりではなく新しい始まりであり、人は死んでも肉体がなくなるだけで、心や精神(魂)といった本質部分は存在し続けるというものです。
この考えは、わたしの個人的な体験や、古代から記され続けてきた死後の世界の様々な記録、最新の終末医療に関わる医療関係者の見解、脳外科医ら複数の科学者の報告の数々に接することによって、ぼんやりと信じていたことが確信となりました。
死んだら、真っ暗闇のゲームオーバーじゃありません。
死後の世界はあると思います。
人はこの世でも生き、あの世でも生きる。
この世とあの世の大きな違いは、肉体があるかないか。
じゃあ、肉体って何?
わたしのイメージですが、肉体は、全ての人が地上で生活をし、お互いに対等に交流するためのカプセルのようなものではないかと思います。
カプセルの中に、物理的には見えない心や精神(魂)が納まっています。
仕事上、たくさんのかたの肉体の中にひっそりとたたずむ心や精神(魂)に、カウンセリングの場で触れます。
特殊な能力ではありません。言葉によって心や精神(魂)に触れるというイメージです。
言葉は人と人をつなぐ大事な糸のようなもの。手は直接心に触れられませんが、言葉ならば人の内側に触れることができます。
そうしたカウンセリングで、沢山のかたの内面に触れて気づいたことがあります。
それは、人は一人一人皆違う!ということです。
一人一人の存在は、比べられないくらい本当に個性的です。
人は本来、性別や人種、あるいは信条や思想によって、分類できるほど単純な存在ではないと思います。
一人一人皆全てが違う花、全てが違う宝石です。
しかもその花や宝石は、まるで雪の結晶のように、無限に成長するのです。
同じ色、同じ形に留まらず、どんどん見事に一層美しくなって行きます。
死はそれを制限せず、死後も成長は続きます。
生きている間、人は肉体のカプセル付きで行動しなければならないため、なかなか思うように行動できません。
病気や老化とも戦わないといけません。
人間関係や望まない環境など、肉体を持つゆえの苦しみがあります。
しかし、これらの苦しみが研磨剤となって、人には一層内面が成長し、しあわせになっていくチャンスがあるのだと思います。
また、肉体のカプセルがあることによって、人は自分とはまるで違う質の人とも交流できます。
死後の世界は、物理的な障害のない心だけの世界のため、ネットで似た者同士が簡単に集まるように、似たような心の質の者同士が集まり易く、自分とは違う感じ方や考え方には出会えにくいとわたしは考えています。
似た者同士が寄り集まっているので、居心地は良いけれど、成長のきっかけは生きている時よりぐっと減るのではないでしょうか。
この世でもあの世でも生き続ける命、そう考えると、苦しみの多いこの世の人生に、生きる意味を考えざるを得ません。
この世は苦しいことも多いけれど、だからこそ人は変わろうとするし、成長できる。
そう考えた時、わたしは苦しい人生に意味を見つけようと考えることができます。
苦しい。でも、きっと何か理由がある。
人には生きる意味がある。
自分という世界的にも歴史的にも、ひとつだけの花、ひとつだけの宝石を、より美しくより素晴らしく成長させて行く、自分だけに果たせる使命がある。
その使命を果たしていく過程で、人は本当のしあわせを味わうことができる。・・・そうなのではないか?とわたしは考えています。
自殺を考える人は、自殺を考えている時点である意味では、自分のしあわせのために死を思うのだとも思います。
死は苦しみからの解放だ、という考え方です。
確かに、死には解放の側面もあると思います。しかしそれは寿命で亡くなる場合ではないでしょうか。
寿命で亡くなるのとは違い、積極的に死を求める自殺の心の奥には、強い自己否定がないでしょうか。
自己否定感は、この世で最も破壊力のあるこれ以上ないくらい暗い感情ではないかと思います。
苦しい状態から「楽になりたい」気持ちは、ごく自然な感情です。
ただ、そこで死を選ぶ心には、背後に自分の全てを否定する気持ちが魔物のように潜んではいないでしょうか。
楽になりたいのなら、他にも方法があるはずです。解決策はどんな問題にも必ずあります。
せっかく自殺しても、肉体がなくなるだけで、心がそのまま残るとしたらどうでしょう?
自殺する時の自己否定の気持ち、暗く絶望的な気持ちは、死んでから後、同じく暗く絶望的な世界へとあなたを引き寄せてしまわないでしょうか。
今よりも一層の暗闇の世界に、行ってしまわないでしょうか。
楽になるための選択、しあわせのためになるための選択として自殺を選ぶのなら、間違っていないでしょうか・・・。
少なくとも、自殺をすると、もうこの世に戻れません。
あなたは、これから先体験するはずだった、人生の様々なよろこびを、全て捨ててしまうことになります。
それが、あなたが本当に望む未来でしょうか?
今、苦しみの底にいるのなら、その体験を活かしたしあわせは、これからどうしたら得られるでしょうか?
わたしは、解決策は必ずあると思っています。
絶望の中にあってこそ、解決策は見出されることがあります。
カウンセリングは、それを見出すひとつの方法でもあります。
解決策をあなたが納得するまで、とことん話して話して話し尽くしてみませんか?
心理カウンセラー 平史樹